しろーのブログ

好きな事を面白く☆

楽しい事は一瞬にして過ぎる 飛び込んだら 良いんだな!

三重県鈴鹿市にてたこ焼きたこ虎を経営しているしろーです

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siro-takotora.hatenablog.com

4月13日土曜日に高知県佐川町にて

「しなやかフェス2019春」が開催されて私はこれに参加しました

私は出店していた事もり参加出来たのはDJパフォーマンス

DJわいざん&こなこな子

ここからだった

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初めて楽しく踊れた 

こんなに楽しかった事はそうそうない

 

大人になって踊ることなど日常になく過ごしてきた私です

踊る事が恥ずかしく踊っている人を見ていても恥ずかしかった

ももクロnightでも)

だから本当に楽しめるのかちょっと不安だったのですが

楽しみたいって雰囲気がこのイベントには充満していたのです

 

誰でも踊れるよって

踊って良いんだよって

間違ってもいいよ

踊れなくても居るだけでいいよって

そんな風に言ってもらえて私の踊りでも良いのだと

思えたのです

わいざんだけではないのです周りの雰囲気もそうなんです

だから

ただただ楽しんだし何も考えずに踊れた

面白かったのです

こんなに純粋に誰の目も気にせず

皆が楽しそうに踊っているのを始めて見ました

間違えても…間違えてても良いんです

そんな空気に包まれているフェスです

とてもやさしいフェスでした

とても芯のあるフェスです

踊れなくても楽しんでも良いんだって

 

変ですよね

だって踊らなくても楽しい

間違っても楽しい

そんなのある?

 

誰かのブログで

「飛び込んだら良いよ」って書いてあった

なんのこっちゃと…そんなんあるかとちょっと思ってたけど

飛び込まないとその先は見えないし

飛び込んで初めて感じる感動がありました

 

私にとって心が豊かになったDJわいざんのパフォーマンス

 

人前で泣くことが苦手な私

閉会式に茜ちゃんが挨拶してましたが

このフェスの苦しさや喜びが入り混じった話をした時

茜ちゃんが泣いていた時

勝手に自分のこのフェスの苦しさや喜びを重ね合わせてしまい

涙がとまらなかった…ばれない様に泣いてたんです

 

私は泣く事がとても苦手です

「泣いたら負け」と育てられた私は人前で泣く事に恥ずかしさの拒否反応があります

だから泣いてる人を見ると何でよ…って思う自分が居るのです

でも本当にここ数か月で泣く事に拒否がなくなってきています

これはTwitterを始めたからかもしれません

これ凄くないですか?なぜかは自分でも分からない

素直に凄いとか素直に素晴らしいとか素直に感動する事に

恥ずかしさがなくなって来たのかもしれません

 

全てが苦手だった

踊る事も泣くことも苦手だった私がこのフェスで得たものは大きい

数年前には楽しんでいる人を見ると

バカにしたり冷めた私だったり別にと拗ねる私が居ました

でも面白おかしい人たちに囲まれたり優しい人たちに囲まれると

私もその面白おかしいくて優しい人になれるのではないかと

今思っています

だから私の事を面白い優しいと言ってくれる人は

必ず面白おかしく優しいのです

今回これが分った事に価値があると思っています

 

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最高のフェスをもっと最高にしたい

 

 Twitter繋がりで初めてお会いしたのは

しなやんです

しなやんのおかげでこんなに楽しいフェスに飛び込めた事

しなやんに会えた事に感謝してます

私は何かをする時必ずしなやんを思い出します

それは何か事を起こす時の強い想いを聞いた時

素直にかっこいいなって思ったからだと思います

そして自分も何かをする時にその思いを借りているのだと思います

 

そのしなやんがこのフェスにかける強い想いを聞いた時

このフェスを最高に

そしてもっと最高にしたいと今思っています

変かな私(^^♪

 

 

ここまで読んでくれてありがとう

 皆さんこのフェス最高です

しなやかフェス2019春 たこ虎としての成功と失敗

三重県鈴鹿市にてたこ焼きたこ虎を経営しているしろーです

今回4月13日土曜日に開催された「しなやかフェス2019春」に参加するため

高知県へ行ってたこ焼き焼いてきました

ここ数日このフェスの事だけを考えてたこ焼きも焼いてきました

まだこのフェスの余韻が残っている内に

たこ虎出店者として書いておきたいと思います

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ぽこみちさんありがとう



たこ焼きを焼かせてもらってありがとう

最初フェスに参加するだけだった私に

たこ焼きを焼く機会を頂いた事に感謝しています

色々大変だったけど

やった事ないのに「やります」と言える場を作ってくれて

こんな経験させてもらえて感謝しかないです

わいざん、くっすん、ぽこみち、しなやん、茜ちゃん

関係者の方ありがとう

 

そして皆に美味しいと言ってもらえ

美味しそうに食べる顔が見れ

それが本当に幸せだという事が分かりました

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マチコありがとう

成功と失敗と反省

まずたこ焼きが焼けた、成功したのはこの「マチコちゃん」が手伝ってくれた事です

たこ焼きを焼く事に集中出来たのもマチコのおかげです

本当にありがとう

(この御恩はいつか返したい)

 

たこ焼き1面24個×14面焼きました=336コ÷1人前3コ=112人前提供(2時間)です

成功したたこ焼きは3面=72コ=24人前

そうですほとんどが失敗しました…

わいざん、イトーちゃん、かやまっちと挙げるとキリがないのですが

失敗したたこ焼きを

嬉しそうにいいよいいよって食べてくれる…

本当にありがたかったです

そして失敗たこ焼き食べさしてごめんね

 

銅板はチーズ御法度…トマトの水分も相性が悪く焦げるのです

たこ焼きを焼いてる最中

楽しいけど美味しいたこ焼きを提供出来てないのではないか

実は情けない感情しかありませんでした

板が焦げるので手際も悪く、かなりお客様を待たせる状態に

自分の中でイライラもしていました、これが私のダメな所

反省です

それさえも楽しめばよかったのに

 

そんな私を見ても皆が美味しい美味しいと言葉を頂いて

本当に嬉しかったです

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水谷駿介 シーマン



焼いていて心地よかった音楽と声

司会進行の水谷駿介しゅん君シーマンでも良い

駿君の進行が聞きやすく見れない私にとってめちゃくちゃ良かったです

そしてその間に流れる曲の選曲が私の年代にはドンピシャだったので

踊りながら焼いてました

 

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ワクワクと楽しいのち先の恐怖

三重県鈴鹿市にてたこ焼きたこ虎を経営しているしろーです

なんでしろーなの?はこちら

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今日は4月13日土曜日に開催される

しなやかフェス2019春に参戦する事になり

今の心境をブログに残してこうと思い書いてます

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ツッシーの写真が好き

あと3日でフェス当日となります「貫け」カッコいいです

yzan.jp

私はこのフェスに参戦することになりワクワクしています

そして何をしても楽しいのです

 

しかし3日前位前から

 

やってきた恐怖が

 

(私は運動をやっていたのである程度の緊張になれているのに)

 

私はとても完璧主義な所があります

頭でシュミレーションして、持ち物は何か考えたり

当日の配置を考えたり

またシュミレーションしたり

あれはどうする、これはどうすると

寝る時も考えるので眠れなくなります

そして当日失敗しないかと…おかしな恐怖がやってきます

 

これはたこ焼き屋をオープンさせた時も1か月前位から感じた事で

ワクワク楽しいのに のち先の恐怖が来たのです

 

f:id:siro-takotora:20181212203636j:plain私は外でたこ焼きを焼くイベントは初めてです


完璧主義故に

失敗したくない…

いつものたこ焼きが焼けなかったらどうしよう

お客様の期待に応えられるだろうか

とネガティブな私が顔を出します

お腹の奥のあたりが気持ち悪くなるのですw

本当ばかみたいでしょ?

 

でもこの恐怖を楽しむ事にしました

もうこうなったらなるようにしかならないな!

そしてもし

失敗したら謝ろう

 

このフェスが終わった時私はどうなっているだろうか
そのワクワクが私は好きです
そしてどうしようって恐怖も私は好きなのです

だから恐怖を楽しんでしまう事にします

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(あ!忘れ物が無いようにリストを作ろう)

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東日本大震災 3.11 大家さんの娘編 そして備えよう 

三重県鈴鹿市にてたこ焼き屋たこ虎を経営しているしろーです

私がいつも忘れない様にしている言葉です


会いたい人には会っておこう
食べたい物は食べておこう
やりたい事はやっておこう
人は簡単に死ぬけど
人はしぶとい
だから楽しもう
大好きな人達と
そして今を生きよう

 

3部は知り合いの大家さんの娘編を書きたいと思います

彼女から聞いた

赤ちゃん👶と2人の命のお話です

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大家さんの娘は3人姉妹

長女次女はすぐに合流できたのですが3女が帰ってこないと心配してました

(当時彼女は20代後半のOLです)

地震後1週間したある日

彼女は歩いて帰って来たのです!

それは皆で喜んだのを覚えています

彼女の地震時体験した事を書きたいと思います

 

 

地震発生時、車で海方向へ向かっていました

彼女は何を考えたのかそのまま海方向へ進んだそうです

(自分で何故そうしたのか?分からないみたい)

当日津波の情報を安易に考えていたと言っていました

海方向に進んでいたら前から走ってきたおじさんに車を止められて車から出ろ!と怒鳴られました

あまりの形相だったので車を出たそうです

その時もう前から津波の水がこちらに向かってくるのが見えたそうです

ビルの上から逃げろ逃げろと声が聞こえて慌てておじさんと逃げました

 

しかしそんなに甘くはない

すぐに水は後ろまで来ておじさんと一緒に飲み込まれたんだそうです

上も下も右も左も天地も分からずぐるぐる回って気を失いかけた時身体をぐいっと引っ張られて津波で動いている家の屋根に引き上げられたそうです

 

そこには一緒に逃げたおじさんと赤ちゃんを抱っこしている女の人、若い男性が2人ほどの彼女を合わせて5人と赤ちゃん

流れる屋根の上でどうする!となったそうで

何しろ、家が沈みそうだったので逃げよう

 

屋根伝いで皆で逃げていたのですが

大きな波がどんどん皆を襲って来たそうです

流れているのでどんどん屋根も無くなっていく

その時に赤ちゃんを抱っこしていたお母さんが

赤ちゃんをおじさんに投げて(そう見えたらしい)家と一緒に飲み込まれていくのを見たそうです

助けようにも、助ける事など出来なかった

おじさんは赤ちゃんを抱っこしてぶつぶつ言っていました

『お願いするなよ…お願いするなよ…』って

 

まだまだ波に追いたてられて飲み込まれないように全員が必死だったそうです

その時、自分がこけた拍子におじさんもこけて赤ちゃんが飛んでいったらしく彼女は赤ちゃんを拾い上げて逃げたそうです

おじさんに 速く行け!と追いたてられて

脇目も見ずにこの時ヤバイと思って赤ちゃんを流れてきたバックみたいな入れ物に入れて肩にかけて逃げました

 

途中先に行っていた男性が小高い?林のような場所から彼女を助けてくれ

その陸に上がれたそうです!

彼女は目の前を流れていく瓦礫と波を呆然と見ていたそうです

あぁ助かった…

 

ねぇおじさん

 

振り返ったけどおじさんは居なかった

急いでその辺を探したけど居なかった

 

彼女を助けてくれて

赤ちゃんを助けてくれて

時には彼女の背中を押してくれてた

名前も知らないそのおじさんを

速く行けといったあの声が聞こえていたのに

彼女は助けないで置いてきた…と

 

バックの中には声を発する事もなくじっとしている赤ちゃんの温もりがだけがあって

それを見て泣きまくったらしい

 

夜救助は来なくて

小高い島のような所で待ったようです

男性が持っていたお菓子とジュース

を皆で分けたみたいでジュースを赤ちゃんにあげてたらしいです

 

その後全員が救助されて近くの避難所へ保護されました

 

 その後の赤ちゃんの事は話せませんが無事親族の元へ

 

 

助からなかったお母さん

助けられなかったおじさん

助かった彼女と赤ちゃん

 

人の生き死には紙一重

自分の判断や言動

人への言葉

今までの生き方今からの生き方

それをこの東日本大震災で考えさせられました

 

全ての時間が未来の自分へ繋がり

今の自分が未来への糧となる

 

 

私は死ぬかと思った時 初めて

やりたい事をやってない!と

まだ死ねない死にたくないと思いました

 

やりたい事を叶えて行こう

子供の時になりたかった自分へ

 

 

読んでくれてありがとう

 

 

備えて欲しい

 

私は毎年この3月は防災月です

備えてある物を入れ換えたり確認したりしています

助けが来る、物資が届き始めるのは4日目位ですのでこの間生き延びれる備蓄品をそろえて下さい

今はネットで調べれば備えた方が良いリスト!みたいなのが沢山出てきますが

Twitterでお友達のフローレンが書いてくれた

東日本大震災の経験からお伝えしたいこと』が素晴らしいのでこれを見て欲しい

そして備えて欲しいのです

 

フローレンはこちら 

twitter.com

 フローレンの文章を張り付けさせて頂いてます↓

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東日本大震災の経験からお伝えしたいこと》
今朝の大阪の地震、幸いみなさん大事にならずにすんで胸を撫で下ろしています。

東日本大震災の時、私は東京の杉並区という吉祥寺に近いところに住んでいました。
その時に経験したことから学んだことをお伝えさせてください。

あの時は震災当日から1ヶ月以上余震が続きました。
今回の地震では余震はこないかもしれません。
もちろん、それを願っています。

そして1週間くらいは余震を警戒して、もし万が一起きた時のために、以下のような備えをしておいていただければと思います。

【1.家や部屋が被害を受けた時】
建物や室内の家電が壊れたら、片付ける前に現状の写真を撮るようにしてください。
建物の柱や屋根、外壁の被害がわかるようにそれぞれ撮影しておく。
家財については、面倒だが壊れてしまったものを、出来るだけたくさん撮影する。ポイントはどの家財が壊れているのか明確になっている事だそうです。
東日本大震災の時、保険会社の調査員が来るまでに片付けや修復をしてしまうと、被害状況を把握できず、半壊なのに一部損と認定されてしまったり、保険金が少額になってしまうという事例がたくさんありました。

これは地震直接の被害だけではなく、後日おきた液状化現象の損害でも同じです。

【2.地震酔い
1週間くらいは大き目の余震に気をつけてください。
東日本大震災の時は毎日何回も震度4とか3の余震が続いて、地震がない時でもゆらゆら揺れているような地震酔いになりました。
ひどくなった時は乗り物酔い止めの薬があると効きます。
お子さんがいらっしゃる方は用意しておくといいと思います。

【3.寝る時の注意】
高いところの荷物は床に下ろしておいたほうがいいです。
枕元に厚底のスニーカーなどを置いて寝るようにしてください。
枕元に靴を置くことに抵抗がある人は、厚底のスリッパを置いて、玄関などに避難用の靴を出しっぱなしにしておいてください。

そして、置く時は靴もスリッパもひっくり返して底が天井を向くように置いてください。
ガラスが割れたりした時に破片が靴の中に入りにくくするためです。
玄関に置いた靴も同じようにひっくり返しておきます。

【4.避難する時は電気のブレーカーを落とす】
避難するときは、電気のブレーカーを下ろすのをわすれずに。
停電が復旧した時に、気が付かない場所のコードが断線していたりすると、火花が出て火災がおきる場合があります。

【5.常備薬を多めに用意する】
持病があったりして日常的に薬を使っている場合は(血圧、糖尿病など)お医者さんに行って多めに薬を出してもらってください。

【6.備蓄品】
東日本大震災の時、東京では翌日くらいからスーパー、コンビニの品物がなくなりました。
買い占めを推奨するわけではないのですが、早めに用意しておいてください。
●お水
●トイレットペーパー
●食料(カップ麺とかインスタント味噌汁とかレトルトカレーとか)
●カセットコンロとそのボンベ
●電池各種
●電池式の携帯充電器
●懐中電灯
あと、サランラップ、アルミホイルもいざと言う時に役に立ちます。

電池や充電器を100均で揃えるのはなるべく避けてください。
電池の消耗が早いし、充電器は発火する危険性が高いです。
電池のサイズを変えられるアダプターのようなものを買っておいたのですが、いざ使おうとしたら全然使えませんでした。

【7.食料について】
避難所で配布される食料は菓子パンなど日持ちのする甘いものが多くて、高齢の方はあまり食べられない状態になりました。

さとうのご飯のような真空パックのご飯と、梅干し、味噌があるとかなり助かります。
塩代わりに味噌を手につけて握る味噌おむすび美味しいです。

冷凍食品や真空パックのご飯は電子レンジがなくても、カセットコンロでお湯を沸かして温めれば食べられます。

インスタントコーヒーのように、粉が溶けるタイプの紅茶、緑茶などがあると便利です。

【8.ビニール袋】
スーパーのレジ袋でも、ゴミ袋でもいいです。
何枚かあると、何かと便利です。

これらのものを用意しておけば、かなりなんとかなります。
カセットコンロはほんとに助かります。
備蓄品についてはこのような感じです。

【火事場泥棒など】
被害が大きくなると必ず犯罪者が出てきます。
「ガス、電気の点検にきました」と言ってくる人がいても、うかつにドアを開けないでください。
また、避難所へ行く時、女性(子供も含む)は黒、グレーのズボンなどの服装で、着替えもできるだけ男か女かわからないものを用意してください。
決して、ピンクや赤など一目で女性とわかる服装をしないこと。
そして、トイレなどへ行く時は絶対に1人では行かないでください。
あまり公になってはいませんが、避難所での性犯罪率はかなり高いのです。

決して脅かすわけではなくて、事前に知識として持っていれば、避けられること、助かることが確実にあるのです。

最近の日本は各地で地震が頻発しています。
天災は予防できません。
だから、起きてしまった時のための準備をしておくことはとても大切なのです。

東日本大震災で私が学んだことが、少しでもお役にたてればと思います。

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素晴らしい!フローレンありがとう

 

 

トイレの情報を入れておきます

自宅のトイレは電気が落ちると流れません

特に自動で流れるトイレはバケツで水を流しても流れませんので注意(手で流せるタイプは流せます)

自動水洗はタイプにもよりますが

本体の右側か左側が、開くので開けた所に手で回せる取ってがあるのでそれで回せて流せます

が!これ確認しておくといいですよ

当日はネットは繋がらないので調べられませんから

後、水が貴重になるので大人のでも子供のでもパンパースが重宝します

トイレにビニールを引いてパンパースに排泄出来ますから

トイレに絶対!困りますから

女性は生理用品は、必ず備えて下さい

 

各部屋に一人一人専用の🔦懐中電灯と言いたいですが

私は断然!!!ヘッドライトです

ヘッドライトを首にかけて作業出来るので

避難も楽だし子供とてを繋げるし料理も楽です

 

旦那が阪神淡路大震災の被災者の為

水に厳しく

お風呂の水は貯めっぱなしにしてあります

これ東日本大震災で、めっちゃめっちゃ助かったんです

飲料水はトイレの水には出来ませんし

 

 

 

長々とありがとうございます

私の思いでの記録に付き合ってくれてありがとう

 

 

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あっ!

私が今一番欲しい物は『発電機』

と携帯などを充電するポータブル充電器

 

どうしても行きたいので

今年6月には念願の『NY』へ行きます

 

しろーでした(^o^)/

東日本大震災 3.11 友達編

三重県鈴鹿市にてたこ焼き屋たこ虎を経営しているしろーです

 

今回は2部 友達編を書きたいと思います

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友達編

3月12日以降 私は子供達の事家族の水や食料に走り回っていました

通っていた東仙台小学校は避難所になっており寝るのもままならない程の人が押し寄せ当日の夜は体育座り状態で一夜を過ごしたと聞いております

車で寝れた私たちはラッキーだったのかもしれません

物資はまだ届かず学校の非常用の備蓄食 小学校校庭の水の配給と学校は想像を超えての忙しさと騒々しさでしたし混乱しておりました

私も暇を見つけてはお手伝いしたりしていましたが

皆の明るさと力強さとボランティア精神には本当に頭が上がりません

 

救助に行く

私は当時ママさんバレーのチームに入っていました

その関係で同じ地区に他のチームのバレー仲間も沢山いました

その中で顔見知り程度の友達から手伝ってほしいと深刻な顔で話されたのが始まりです

 

友達の行方が分からない…とそれを探しに行ってくれる人を探していると

一緒に行ってくれないか?との話だった

彼女は沢山の人に声を掛けていたが現状は皆が自分の事で精一杯だったので

可愛そうに…で終わっていました

私は1日目の自分が何も出来なかったという後悔があった為自分に出来る事があれば何でもやろうと思い

探しに行く事にしたのです

そしてその思いの中に現状は一体どうなっているのかが知りたかったのです

 

当時ガソリンを使って車を動かし移動する事はリスキーな事でした

なぜならばいざ逃げないと!となった時に使えなくなる可能性があるからです

本当に皆がそう考え車を使わずにいたので自転車と徒歩の人で歩道は一杯でした

 

子供たちはテレビも携帯もない中でまるで昔の子供たちの様に外でワイワイと遊びを見つけて遊んでいました、ママ友達に子供たちをお願いして夕方には帰る事を告げ津波の現場へ行く事にしたのです

実はこの時私は携行缶を入手しており隣がガソリンスタンドで車は並ばないとダメですがガソリンスタンドによっては携行缶を持っている人は並ばずに買えたのです

ガソリンも寄付して欲しいと言われていたのでガソリン持参で行きました

 

いざ現場へ

探しに行く女性は地震時保育園に娘が居たので迎えに行くために海方向へ車で行ったきり帰らないとの事でした

私は心の中で半分は避難してて欲しい、半分は亡くなっているだろうという気持ちが本当の気持ちでした

長靴にゴム手袋ゴーグルヘルメットを裏のおじさんに貸してもらい車に乗り込んで現場へ…

現場へたどり付けると思ってました

 

連れて行ってもらったのでどこから入ったのか定かではないのをご了承下さい

 

始めて違和感を覚えたのは車で10分程走ったころでした

車は車道と何か分からないがれきと一緒に押しつぶされ電車の車両の様に連なり並んでおりました

そこには奇妙な印が付いているのと付いてないのがあり印は赤のガムテープで×印

赤や黄色の小さい旗が付いている物もありました

途中良く分からず目を凝らし見ていましたが一緒に行ったおじさんにあんまり見ないほうがええよと…車も入れなくなり多分この道を通ったであろうという場所に到着

見てはダメと言われると見てしまうのが人間のサガでしょうか

私はある×と赤い印の付いた車をのぞき込みました

そこにはハンドルにもたれた男性

その隣の車は下半身が後部座席に、ある車の中には女性と子供が折り重なって

まだ身体と分かれば良いほうでした

あぁこの印はそうか生存の印だった…んです

 

私がする救助とは

女性の遺体があればのぞき込み探している女性かを確認する作業だったのです

 

私は目の前がぼやけました

現実に足を付けれてない感覚が襲い動けなくなりました

遠くを眺めこれは現実なのか?…と

 

ふと1歩歩いて倒れた看板を見て…あぁネクタイが掛かってるなぁと見てみるとそれは腕でした…

もう何が何だか分からずに見ないでおこうと下を向くと毛むくじゃらの犬が亡くなっていているなとじっと見たら それは人の髪の毛だった…その中に子供の指を見つけて拾いあげた時の気持ちをどう表したらいいのか分からない

 

もし地獄があるとするならばここは地獄ではないだろうか

苦しい 苦しくて何処かへ飛んで帰りたかった

逃げれるならば逃げたい

 

私は心が潰れそうなのを押し殺しその友人を見つける事に専念しました

しかし彼女は見つからなかった

 

現場の足場がどんどん悪くなり入れる状態で無くなった場所でふと顔をあげて周りを見渡すと家があった場所には何もなく

ただ瓦礫と泥

そして忘れもしないあの匂い…

 

 

数日後ご遺体を集めてあった体育館へ行き遺体の中に彼女が居るかも、との事で

手伝いに行きました

身体の特徴や持ち物を聞いてそれを探すのです

ただ本当に難しかった…

様々な遺品を見ながら一体どれだけの人が亡くなったのだろうと思いました

 

彼女は今でも見つかっていませんし家族はまだ捜索を続けているそうです

 

 

私は主人の単身赴任で仙台に来てましたので

幸いにも親戚一同は三重県と主人の一同は岡山県

自分たちだけで良かった…が正直な気持ちです

友達は海沿いに親戚が居たり実家があったりでそれは心配だっただろうになと思います

 

そして私の家族や主人の家族は私たちを心配してただろうなって思います

 

 友達編は終わりです 

読んでくれてありがとう

グロテスクに書かなければ伝わらない事も書いてあるので

気分を害してたら申し訳ないです

 

3部の大家さんの娘さん編と備えようも書きますね

 

 

自分編はこちらです 

siro-takotora.hatenablog.com

 

東日本大震災3.11 自分編

三重県鈴鹿市にてたこ焼き屋たこ虎を経営している、しろーこと荻野友美です

まず題名を見てこのブログへ来てくださった方

 

本当にありがとう今から少し長くなりますがよろしくお願いします

 

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私事ではございますが8年前になる

東日本大震災2011.3.11の記録を残したくてブログを書いてます

今回この地震の話は

①自分編

②友達編

③ある大家さんの娘さん編と備えよう

と分けたいと思います

そして3月11日までには3部作を仕上げたいと思います

 

 

武勇伝を期待されていたらごめんなさい

1人の主婦が体験した小さな経験をお話しするだけです、それはへっぽこだし、とても誇れるような事はしてませんし後悔しかないのです

 

この話は三重県に帰ってきて親戚が開いてくれた私の会(ご飯を皆で食べる)でお話しした内容です

当時私は話すのに泣かないと話せませんでした…

それもこの1回限りで話した事はありません

今回は踏み込んで細かく書きたいと思います

 

私は震災後、鈴鹿市にて被災者に地震を語ってもらうみたいな会に

2度程呼ばれましたがそこでは防災の話をしました

なので当時自分が経験した事を話すのは

親戚が開いてくれたこの会と防災の話の際に少しお話しただけです

 

正直こうして書く事が本当に許されるのかも良い事なのかも

分かりませんが

きっと今皆に聞いて欲しいんだと思います

 

なぜ今なのか?

毎年この時期に見る夢とシーンがあります

それは人によっては悪夢というのでしょう

私にとっては忘れてはならない記憶なんだと思います

 

もう一つは人々の記憶からこの地震が薄れている

と感じているからです

 

もし叶うなら

これを通じて備えて欲しいと思うからです

決して脅している訳ではないです

備えあれば憂いなし

この言葉に尽きます

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〇が住んでいた所


 

まずは8年前に戻ります

2011年3月11日 金曜日

4人家族

宮城県宮城野区東仙台 

【後で分かりましたが(震度6強)】

隣は宮城野区の図書館があり

近くにガス局がある場所です

旦那41歳イオン仙台中山店

私34歳 

長女小学6年生 長男小学1年生

 

私はこの日 海沿いにある イオンにて

『ラーメンとスイーツの祭典』へ行くべく用意をしてました

予約の入場チケットも購入済み(ちなみに家族に内緒でした)

しかし11時頃小学校の本部役員の方から電話があり

役員の部長をやっていた私はやむなく12時から会議室へ行くことになりました

 

(ラーメン!スイーツ!っと思い14時には終わろう)

会議が終わり(会議室は1階)よしさぁ行こう

いざラーメン!と時計を見たとき14時40分ごろ

案の定会議が終わってもごたごたしていました

 

その時一人の携帯から聞いた事のない

ビュービューという音が鳴り響きました【曖昧です】

地震です地震です』と聞こえた記憶があります

それが小学校の警報だったのかが定かではないのですが

カウントダウンを始めたのです

10.9.8.7.6.

この時誰もただボーゼンと立っていました

(最近地震も多かったので)

5.

『備えて下さい』と聞こえた時

私は先ほど帰ったばかりの小学1年生の長男を思いグラウンドを見た

その瞬間窓の外のグラウンドの方向(丁度そちらが海)

遠くからゴゴゴゴゴゴーーーと音が聞こえて近づいて来たのです

 

はっっとなり皆を会議室にあった一番大きな机の下(理科の実験室のような)へ避難するよう声をかけました

が自分はグラウンドがバリバリバチバチと波打ち動くのを呆然と見ていました

その私を友達がグイっと引き込むように机の下へ避難

机の脚と友達と机のはしに必死につかまりました

ゴゴゴゴとバリバリバリミシミシが混ざった音が自分に到達した時

右方向回りに凄い勢いで揺れながら回ったのです

それは机と自分たちを一緒に一気に教室をビュっと滑り

ビュっと滑りを繰り返しました

ジェットコースターです

周りはキャーキャー言う声

学校の上からは小学校の子供達が叫んでいる声

それがずっと続いてとてつもなく長い時間でした

 

1分を経過した時

私の中の目の画面に

思い出のシーンが小さく写真の様に出てきたのです

この時実は怖くて笑いました

小さい頃の私や思い出

姉妹両親などの写真?が目の右端の方から

出てきて(言っておきます私はそういう事にうといです)

 埋まっていったのです。え?死ぬの?って心が

【嫌まだ死ねやん 何にもしてない やりたい事も何にも出来てない】

目をつむっても写真は増えて行くばかり

この時ばかりは、ちびるかと思いました

 

2分が経過する頃ジェットコースターの地震も慣れてきて

話し始めた…

私たち死ぬの?日本が終わった日本多分割れたんじゃないか?

友達が携帯のTVを付けて津波が来るとか〇m?聞こえた記憶があります

勿論まだ揺れてます

3分もする頃地震が収まり立ち上がった時やっと目の中の写真も消えてました

 

外のグラウンドを見たら先生達がフラフラしながら

子供たちを探しに出て行くのが見えました

アッ

下校途中のこうき(息子の名前)そして学校の最上階4階にいるりな(娘の名前)の名前を口に出したのを覚えています

 

出ようとしましたがドアが開かない

学校の非常用の扉が閉じて廊下が通じてない

母親たちの私たちは右往左往し

窓が開いたので窓から脱出しようと

したその時 第2弾の地震がドンっって来たのです 

 またか!来た!

また机の下へ潜ろうと思ったのですが

私はこれ以上避難出来ないとダメなので長机を必死に窓の間へ入れて

逃げれる様にしました

その時の学校の建物の音が恐ろしかった

これもう潰れたら絶対死ぬな…と

少しすると地震も止んだのでTVを聞くと

津波が7mとか9mとか…なんじゃこりゃ!

何があったのかが本当に分からなくて情報がなく不安でした

 

学校だった為上の教室からは子供たちの声で鳴り響いてました

私は4階の長女を迎えに行く為にまず非常用のドアを開けて

職員室へ行きました

その時見たのが緊急受け渡しのバインダーを職員室から運び出す先生達でした

私はPTAをやっていたので先生方に顔を知ってもらえてました

1組~の緊急バインダーを運んで欲しいと依頼され

それを運ぶ事にしたのです

4階まで上がったら教室で泣いてる子

廊下の端で震えている子

私にしがみつく子

勇敢にも皆を守っている子

皆を落ち着かせている子

何が何だか分からず分からない事を叫び右往左往する子

廊下の窓は割れとても危なかった

会議室の1階であの地震の揺れをこの子たちは4階でもっと揺れただろう…

それは恐ろしかったんだと思います

お母さんお母さんと泣いて泣いてパニックになっている子達に

何しろ”落ち着きなさい、すぐに両親が来るから”と言い聞かせ

各教室にバインダーを渡しやっと娘の所へ

娘はお母さんお母さんと抱き着きホッとしたようでした

他の子たちは怖くて私に抱き着いて来たので何分かは抱き合って居た

その時また余震が来て4階は1階よりも揺れてたのでそれは怖かったです

誘導する先生も居ませんでしたが担任の先生に娘を連れて行きますと報告し

次は下校途中の息子を迎えに自転車に乗りました

娘は6年生結構な大きさの子供を自転車の後ろへ乗せて猛スピードで家へと向かいました

とても静かだった風の音だけが耳に響いて凄いスピードゆえに娘がキャーと叫んでいたのを覚えています

家に到着しても息子の姿は無くもう必死で探しました

その時近所に住む同級生の女の子が家に居るよと教えてくれて

息子は同級生の家に避難していました

地震時息子は知らないおばさんに道端で覆いかぶさって助けてもらっていたらしくそんなに怖くはなかったと言っていました

ただ道が蛇の様にうねうねしそれが気持ちが悪かったと聞いてます

 おばさん本当にありがとう

 

 アパートの部屋には入れずぐちゃぐちゃでしたが

避難用具を引っ張り出しいる物を持ち出し夫が帰ってくるのをひたすら待ったのです

それまで忘れていた携帯を開き見た時通知の数に驚きました

着信履歴500件以上入っていたのです

それを開いた瞬間携帯の電源がそれに吸い取られどんどん電源の%が減り私は焦って電源を切りました確か80%程あったのが40%程までに一気に下がったのです

 

緊急時、安否確認したくて皆電話してくるよ、私もすると思う

でも電源が無かった私は電話してこないでって当時思ってました

安否確認の伝言ダイヤルに無事だと残したのを覚えています

夕方になっても夫は帰らず これは避難所へ行こうかと思い

大通りへ行くと避難所へ向かう人々の群れが埋め尽くしてました

夜になりやっと旦那は帰宅!なぜか旦那は大丈夫と思ってました

実は旦那は阪神淡路大震災の被災者なのです

なので大丈夫だろう…って2度目だし…

 

良かったと共にアパートの中は怖すぎて寝れないので車の中で寝る事になりました

 

本当に寝れない

雪がちらつき寒くて不安で暗くて真っ暗で

ガスの匂いが充満しとても火を焚ける状態でもない

皆携帯見たいけど充電出来ないからしてなかったな…

裏の大家さんのラジオの音だけが響いてた

携帯の電波なんか全然こないから電話も鳴らないし

勿論ネットにも繋がらない

 

でも

その時私の携帯‼が鳴ったんです

もうなんで?って皆の注目浴びまくり

 

これ書いて大丈夫かな…

まぁ大丈夫だろう…海上自衛隊の同級生からの電話でした

私の安否が気になって連絡したと…

事情は話せないがどうやって繋がったのか私には分からないのだけれど

「今、国が総力をあげて助けに行くから!俺たち絶対行くから大丈夫」

「大丈夫か?良かった」と言って直ぐに切れました

とても安心しました今こちらへ向かって来てくれてるんだって思ったからです

 

外に出て

その日の夜は回りの電気という電気が消えて

星がキラキラしてました

あぁめっちゃ綺麗

そう思った瞬間

その日初めて涙が出ました

悲しいとか空しいとかそういうのではなく

良く分からない気持ちでした

 

明日からどうなるのか分からない不安

いつまでも続く余震

いつ終わるのか

 

その中であんまりに非対称的な綺麗が見れて

良く分からない涙がツゥーっと流れたのだと思います

 

 

これが私の経験した東日本大震災3.11です

1日目

私は津波の現実をラジオからしか得られず何も分からなかった

多分県外の人の方が津波の情報を得ていたのではないかと思います

 津波の現状も分からないネットもない

テレビもない電話もない情報がないというのは本当に怖いです

 

後悔している事

それは

当時自分の事と家族が無事だったことしか考えてないという事です

 

自分勝手にも電話して欲しくないとか、明日から私どうなるの?とか

死にたくないとかお腹すいたとか

星が綺麗だとか…

他の友達の心配もせず

自分たちの事で精一杯

 

 

当時助けられた命がそこら中にあったのに

私は家族と自分の事しか見れなかった

 

 

皆さん読んでくれてありがとう

そして私の記憶の記録に付き合ってくれてありがとう

 

皆に読んでもらいたいとか書いたけど違う

多分

書く勇気を皆からもらいたかったのだと思います

 

次は友達編を記録したいと思います

良かったら見てください

 

荻野友美おぎのゆみ ことしろーでした

 

https://twitter.com/takotoraogi

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あぁスッキリ!卵の殻を綺麗にむく方法

三重県鈴鹿市たこ焼き屋たこ虎を経営しているしろーです

なんでしろーなん?はこちら 

siro-takotora.hatenablog.com

 

ゆで卵を綺麗に剥くには

皆さん卵の殻を剥いてて「キーーーー」ってなった事ありますか?ボロボロになったり全然剥けなかったり

私は店で煮卵を仕込む時にゆで卵を作ってました

ゆで卵を作る事何十回も繰り返し、失敗してボーンなゆで卵や剥けなくてボロボロの卵にかぶり付き

茶店でゆで卵が綺麗に剥けると分かれば恥を忍んで教えてもらい

やっとやっと綺麗に剥けるやり方を私は会得しました~~ヤッホッーイ

嬉しくて誰かに教えたいのさ

 

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人気の玉こんにゃくと卵

茶店をめぐりゆで卵を見れば注文し綺麗に剥ければ店主に聞いて回り

自分で研究し共通点を見つけました

(と思ったら玉こんにゃく終了したけど…)

それは置いといて

 

まず卵を冷蔵庫から常温に出して20分~30分は置いておきます

卵を茹でます、硬めに茹でると剥きやすいです

水に卵を入れて沸騰させて15分茹でます

この後が重要です☆

『氷』を用意してください

お湯を捨ててボールへ氷と水を入れて氷水を作っておきます

氷多めでお願いします

氷水へゆで卵をダーイブ!入れて一気に冷やして下さい

もうガンガン冷やして下さい!手を抜かないで下さい

氷が溶けてきたら氷追加もお願いします(^^♪

15分は冷やして冷やして冷やして下さい

 

剥いてください

さぁ皆さん剥いてみましょう

剥くときは全体もしくは卵の一番太い胴あたりを一周

ひび割れを入れて冷水に流しながら剥いてください

つるんと剥けるでしょう私は失敗なしです

(剥けなかったらどうしようごめんなさい)

もし冷水に流さず剥きたい方は一度冷蔵庫で冷やすと

これもまた剥きやすいです

 

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大好きなたこ焼きとTシャツ

たこ焼き屋です

 

はてさて読んでくれてありがとうございます

今月はイベントで作ったたこ焼きがお客様に好評で

めっちゃうれしいけど改良しないといけない事が一杯出てきて

嬉しい限りです

 

 

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